攻防から権威へ——武家時代における城の機能変遷への考察

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城というのは、一般的に敵を防ぐために築いた軍事的施設である。城の起こりは恐らく人類による原始社会の誕生とともに始まっているのだろう。日本における城の歴史から見ると、殊におよそ700年にわたる武家時代は、以前の古代社会と以後の明治時代と比べて、画期的な意義を持っていると考えられる。武家時代は日本式城郭の集大成だと言える。城は武力に頼る支配階級の道具であり、軍事的役割とは切り離せないので、城の攻防機能はどの時代においても重視されるわけである。しかし、時代の変遷に従い、城は軍事施設だけでなく、政治権威を示す強権の象徴でもある。このように、城の実用性――攻防機能が徐々に弱まり、諸大名が自分の支配権威を示すために豪華な城を築き始めた。   本稿は、日本と中国で出版された著作や研究論文などの資料を読解し、文化学の理論と方法でそれらに現れる城に関する視点を細かく分析し、武家時代における城の機能とその特徴を解明しようとするものである。本稿は六つの部分からなっている。第一部分は序論部分であり、研究課題、目的、意義と城及び城の機能についての先行研究と研究方法を紹介する。第二部分は武家社会が成立する背景を分析し、武家時代の城について論述する。この部分は三つの小節からなっている。第一節は城の分類、第二節は築城の背景、第三節は城の沿革である。第三部分は鎌倉時代から戦国末期にいたる攻防主導型の城を考察し、その築城背景、種類及び特徴を分析する。この部分は四つの小節からなっている。まずは攻防主導型の城の築城背景、次は攻防主導型の城の種類、さらに攻防主導型の城の機能、最後は攻防主導型の城の特徴である。第四部分は戦国末期から江戸前期にいたる権威主導型の城について考察し、その機能変遷の契機、権威主導型の城の機能、特徴を分析する。この部分は四つの小節からなっている。一つ目は権威主導型の城への転換契機、二つ目は権威主導型の城の種類、三つ目は権威主導型の城の機能、四つ目は権威主導型の城の特徴である。第五部分は武家時代を通して、城の機能変遷の原因と特徴を分析し、また中日における城の機能への比較を論述する。最後の部分は結論である。本稿の結論として、700年にわたる武家時代には、城は重軍事より重政治へ変貌した。武家時代前期では、長年の戦争のため、天然的な地形を利用し、軍事的機能を重んじる城が主流であった。後期になると、領国の拡大と共に、軍事面だけではなく、政治面、経済面、交通面も考慮され、軍事防御と領国支配を兼ねている城が多くなってきた。城の機能は、時代の変遷に伴い移り変わっていたと分かる。   日本の武家時代における城の研究は多くの領域を及ぼし、本稿はただその軍事機能と政治機能を簡単に分析し、全面的に触れることができないのである。近世になってから、城下町を通し、城の経済機能もだんだん重要になってきた。今後の課題として、殊に武家時代の城より築かれた城下町について、さらに考察してみることにしたい。
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